束元理恵さん~狩猟女子・昆虫食ガール

  • 作成日:2023/10/25
  • 更新日:2023/10/25
  • 編集者:山根木材メディア編集部
束元理恵さん~狩猟女子・昆虫食ガール

元幼稚園の先生で、現在は狩猟女子、そして昆虫食ガールとも呼ばれている束元理恵さん。
「食べることを自分の手で」を叶えるために、「挫折」と「勇気」が紡ぐ物語です。

映像コンテンツ(YouTube)

狩猟女子・昆虫食ガールである束元理恵さん。
自分の力で何かを育てたり、身一つで自然とのやりとりをしたいという憧れを実現しています。
「アンテナを張り巡らせて、色んなことに挑戦していきたい」と語ります。

狩猟女子・昆虫食ガールである束元理恵さんの暮らしのベースは「食べる」こと。
江田島で行われている一品持ち寄りのご飯会では、食を通じたコミュニティが広がっています。
「みんなとつながれる「食」を大切に生きていきたい」と語ります。

暮らしのてまひま

束元理恵さん

猟師・昆虫食ガール 束元 理恵さん

1994年、広島県生まれ、熊野町育ち。元幼稚園教諭。仕事を辞め、尾道市のゲストハウスに住み込みで働く。
2017年、22歳のときに猟師に憧れて北広島町に移住。2021年春から江田島市に移住。猫のさくたろう、鶏たちと暮らす。
著書「いただきますの山」(ミチコーポレーション)。

元幼稚園の先生で、現在は狩猟女子、そして昆虫食ガールとも呼ばれている束元理恵さん。
初めてお会いしたとき、それらの肩書きから勝手に想像していた姿とは全く違っていました。ゆっくりと丁寧に言葉を紡ぎ、ふわっと広がる笑顔でふふふと笑います。なぜ狩猟?どうして昆虫食? 次々と浮かぶ疑問に、ゆっくりじっくり答えていただきました。移住や猟師への道のりには、何回もの「挫折」と、どんなときも自分の気持ちを声に出してきた「勇気」が見えました。

すべての始まりは「食いしん坊」から

束元理恵さん①

出身は安芸郡熊野町で、幼稚園勤務を経て尾道市へ移住し、北広島町での山暮らし。
現在、江田島市という海のそばで暮らしています。
「食べることが大好きで、食べることを自分の手で、身一つで自然とのやりとりをしたい、という憧れを持っていました。
狩猟も昆虫食も「食いしん坊」から始まっています」と笑います。

束元理恵さん②

束元さんの前職は幼稚園教諭。毎日忙しく、眠れない日が続いたそう。
体調を崩し、仕事を辞めることになりました。やりたかった仕事を諦めてしまったという挫折の中で、ふと訪ねた尾道のカフェ兼ゲストハウスで思わぬ言葉をもらいます。
「今なら何でもできるじゃん!」。
そのゲストハウスで束元さんは住み込みで働き始めました。

そこでは大学生や留学生、移住者や地域の人、海外の人、さまざまな年代の人が集まって、食事をともに会話をするご飯会がありました。
あるとき、尾道の向島でイノシシをさばきゲストハウスのみんなと食べたとき、誰がどうやってとったのか、なぜおいしいのかと質問され盛り上がったそうです。
「食べることを通して会話が生まれるって素敵だなって思ったんです」

さらに束元さんは歴史が好きなことも思い出し、「縄文時代のように、自分たちで獲ってさばいて食べることができたら誇らしいだろうなって思って、猟をしてみたい!と思いました」

すべてが初めてでどの瞬間も美しい、感動の北広島での暮らし

束元理恵さん③

北広島町にドライブをした時、「ぞうさんカフェ」に立ち寄りました。そこで猟師さんに出会います。
猟の話を聞きながら、銃を持つ人がこんな身近にいることにドキドキしたそうです。冬に猟があるというのを聞き、猟師さんと連絡先を交換し、冬に猟に参加。
北広島町を案内してもらい、「山もたくさんあるし、イノシシもたくさんいそう。ここなら猟ができる。ここに住みたい!」と2017年の3月に移住しました。
とはいっても、仕事も、家も、知り合いもいない土地。「知らないからこそ飛び込めたのかも。信じられないです」と当時を振り返ります。

保育の仕事はないけれど、「それなら農業をしてみたい」と農業法人で力仕事を始めます。
家は、猟師さんの協力で、空いていた事務所にお風呂をつけてもらい住み始めました。
しばらくすると、地域でベビーラッシュなのに保育士が足りないという事態になり、勤め先の農家さんから「手伝ってあげんさい」と春夏は農業、冬は保育をすることに。
保育園のご飯は束元さんが手伝っていた農場のもの。「全てがつながってちぎれてなくて、地域みんなで暮らしているという感じがしました 」と話します。

束元理恵さん④

忙しいと思う暇もないほど、忙しい毎日。それでも1つ1つが初めてで楽しくて、どの瞬間の景色も美しくて感動する日々だったそうです。
そんな心の充実とはうらはらに、体には無理がきていて貧血で倒れてしまいます。
猫のさくたろうと鶏とともに熊野町の実家に戻り、2021年3月、空き家になっていた江田島市にある祖父の家に移住しました。

好きだったことがつながってきた江田島での暮らし

束元理恵さん⑤

移住をしてしばらくは、本の執筆に取り組みました。
本が出来上がったころから、「農業や土木の仕事をしてきたので、今度は裏方の仕事もしてみたくて、ホームセンターで働き始めました」。そして今、江田島市で猟師の活動ができるように準備中です。

束元理恵さん⑥

昆虫食は、尾道に住んでいたとき、猟がしたくてもなかなかイノシシと出会えなかったため、身近にいるセミやバッタを「狩猟」して、食べることにしたそうです。
子どものころから家族でキャンプに行く家庭で、虫とりも「好きなことがあるのっていいね」と全力で一緒に取り組んでくれたそう。
子どものころの好きなことや、やりたいことがつながって、今の束元さんがあります。

束元理恵さん⑦

「幼稚園で働けなくなったときのように、何かを諦めたりすると夢が終わったと思いがちです。
でも振り返ってみると、そうした経験があったからこそ、すべてがつながってて今があります。
虫が好きなことや食べることが猟につながりました。何がつながるなんて分からない。やってみたいことを声に出してみるって大事ですね」

束元さんのてまひま

束元理恵さん⑧

さて、食いしん坊の束元さんにとって、これまでで一番美味しかった食べ物とは?
「北広島にいたとき、育てた小麦を石臼でひいてパンを焼いたんです。麦畑の香りがして、本当に美味しくて。あのパンをもう一度食べたいので、今、小麦を植えています」

家の近くに畑を借りて、今年の7〜9月に収穫できる予定。石臼は手作りしようとして、石屋さんがつくってくださったそうです。
「食べることを自分の手で」。それが束元さんの暮らしの基本です。

束元理恵さん⑨

これからやってみたいことは、自分のお店を持つこと。
「尾道のゲストハウスのような、何でも話せる場所をつくりたい。だれかの何かのきっかけになれるような場所、窓口になれたらうれしいです」

そんなお話を聞いた帰り道、これまで気になっていた初めてのお店に行ってみました。
ランチタイムには少し遅いけど、だからこそスタッフもお客さんものんびりしていて一人ごはんの私には心地よい空気。
「自分のために一人じかんがほしい!」と思っていたことを思い出しました。
私も、好きなことややりたいことを思い出せるのも、もうすぐなのかも。
見つけた時には、声に出してみようと思います。

この記事を書いた人
yamane_mktg
山根木材メディア編集部

ヤマネホールディングス株式会社マーケティング課が、住まいの検討やより良い暮らしに向けたお役立ち情報などを発信しています。

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